結婚して良かったと思える事
結婚して良かったと言えること、そんなの言わなくたってわかるだろ、セックスできる事にきまってるじゃないか(大阪・道頓堀金曜の晩の泥酔したオッサン調べ)つまり嫁が居て本当に良かったと思える時なんてものはセックスできる事とサロンパスを背中に貼る際に苦労しない事くらいしかないと言うことだ、しかも近年の嫁候補は昭和時代の女性に比べて料理はできない(和食の料理ができない、そもそも分からない)掃除洗濯は適当で残りはママ友とのコミュニケーション(笑)ときたもんだ、とりあえずせめて結婚して家事を任せるのだから(コレに関しては旦那が働いているのだから嫁が追うべき責任、義務、ノブレス・オブリージュと言えるだろう)つまりせめて魚の料理くらいはできるようになってほしいものである。
結婚して後悔してなくはない
『料理の出来ない女とは結婚するな、料理ができない女は何をやらせてもロクなもんじゃねぇ』ってのは昔ながらの親父のセリフですがそれでも現代に当てはめて言えば悲しいまでに当てはまるのだから仕方が無い、仕方がないと言うよりも現代の日本では劣化したグループでの結婚と比較的まともなグループでの結婚という極めて二極化が進んでいると言える、特に劣化遺伝子グループ(イカDQNグループと表記する)は基本的に『学』がなく頭が悪い、高校時代は遊ぶ、セックス、酒タバコのレッツ・ノーライフで馬鹿する事が青春だと思っているので当然まともな学校には行けないしまともな職にもつけないため金は無い、その癖セックスだけしかできないもんだから子供はポコポコ生まれてくる、カエルの子はカエルと昔から言うように、金も学もない仮定に育ったカエルは当然鷹にも鳶にもなりようがなく馬鹿から生まれてくるのは普通の子供でも馬鹿にしか育てられないのだ。
でもソレが結婚じゃん?
一方普通の家はどうだろうか?金もそこそこにあり安定した生活を送っているように見えてこの家にはこの家で問題がある、大抵まともな会社に入社できるような真面目君は学生の本分を極めて真面目かつまともにこなしてきたタイプであるからして結局は前述のDQN家族のように破天荒な生き方はできない、そしてソレが退屈や窮屈につながり最終的に膨れ上がった不満が爆発し結婚生活は終わりを告げる、当然その仮定の子供はそんな親を見て育つのでクズな人生を送るか反面教師にして親父と同じような人間になるか、自分自身の道を模索する放蕩系のどれかになるのだ。